自分の好きなエンジン②:プラット・アンド・ホイットニー(R-2800)編

 

プラッド・アンド・ホイットニーとは

1860年にフランシス・プラット (Francis Pratt) と、エイモス・ホイットニー (Amos Whitney) によって、アメリカ・コネチカット州ハートフォードに設立される。当初はミシンや、南北戦争アメリカ合衆国軍(北軍)用の銃などを製造するための工作機械を製造していました。

1925年、フレデリック・ブラント・レンチュラー(Frederick Brant Rentschler)が自ら考案した航空機用エンジンの組み立て場所と融資を希望して、プラット・アンド・ホイットニーに提案しました。これを受けプラット・アンド・ホイットニーはレンチュラーに25万ドル出資、「プラット・アンド・ホイットニー」の名前と、製造場所を提供しました。これが、プラット・アンド・ホイットニー・エアクラフト(Pratt & Whitney Aircraft Company)の始まりです。プラット・アンド・ホイットニーの最初のエンジンは、1925年のクリスマスイブに完成したワスプWasp)でした。ワスプは試験で425馬力(317kW)の出力を記録し、1926年3月にはアメリカ海軍の認定試験を軽々と通過、10月までに海軍から200台のエンジンが発注されるに至ります。ワスプが見せたスピード、上昇性、信頼性はアメリカの航空業界に革命をもたらしました。

1929年、フレデリック・レンチュラーはプラット・アンド・ホイットニー・マシン・ツールの下を離れ、ユナイテッド・エアクラフト・アンド・トランスポート(ボーイングユナイテッド航空の前身)に参画。この時、プラット・アンド・ホイットニーの名前と会社をそのまま使用することが許可されました。

その後、プラット・アンド・ホイットニーは工業の複合企業であるユナイテッド・テクノロジーズの一部門となり、関連会社として、プラット・アンド・ホイットニー・カナダ(Pratt & Whitney Canada)を設立しました(当初はユナイテッド・エアクラフト・カナダ)。プラット・アンド・ホイットニーが大型のエンジンを製造する一方、プラット・アンド・ホイットニー・カナダは小型飛行機用エンジンの設計と製作を行いました。

現在、プラット・アンド・ホイットニーの本部はコネチカット州イーストハートフォードにあり、工場はコネチカット州ミドルタウンとチェシャー、フロリダ州ウエストパームビーチメイン州ノースバーウィックにあります。

 

=Rー2800エンジン=

プラット・アンド・ホイットニー社は、今でも数多くのエンジンを造っており、例を挙げると、今現在日本で配備されている戦闘機F-35F-15、一般の方でも乗ったことがあるであろうボーイング707、航空機に詳しい方はご存知であろう実用ジェットで最高速度を叩き出したブラック・バード(SR-71)等の有名な航空機をたくさん生産している会社だが、その中でも、特に有名なP-47サンダーボルトの後期型に搭載されたエンジン”R-2800”について話したいと思います。

 

f:id:hatanaka2111:20171213135217j:plain

 

このエンジンは、第二次世界大戦のアメリカの航空機の大半を担ったエンジンです。特徴としては、大出力発揮に比例して生じるクランク・シャフトの二次元的振動を前後両端に2倍の速さで逆回転するダイナミックバランサー(慣性平衡装置)を取り付けることで解決させたことが挙げられます。また、遠心式スーパーチャージャーで当時では、トップレベルの速度を出すことができました。これらによって得られた大馬力は、枢軸国と差をつけることとなります。

 

ダイナミックバランサー(慣性平衡装置)

f:id:hatanaka2111:20171213145026p:plain

 

加振力を低減するために、それと逆方向の作用力を発生する装置をバランサーと呼ぶ。ダイナミックバランサーは、その逆方向の作用力が2倍の大きさで発生させ、圧倒的な出力に伴ってくる周期的に複雑な波形で変動する加振力を簡単な機構によって効果的に抑制することができ、しかも位相や加振力の大きさを簡単に調整することができ、従来と比べて飛躍的に高速回転を可能にするまた、ウエイトの慣性力を用いたフライホイール、バランスウエイト、カウンターウエイト、バランスシャフト類、防音に摩擦を用いたインターライナー、流体の速度エネルギーを用いたショックアブソーバー、共振エネルギーを用いたダイナミックダンパーなどがある。

 

まとめ

今現在でも、主力を担って各兵器のエンジンの製造を行っているのは、少数しかありません。プラット・アンド・ホイットニー社は、その少数の中にある優秀な会社であることがわかります。自分も、仮に会社を設立できたならこのような立派な会社を作ってみたいですね。(エンジンに触れてない(笑))

 

P.S.

第二次世界大戦の日本は、このエンジンの捕獲に成功しましたが、ダイナミックバランサーの存在を重要視できませんでした。よって、戦争後半は、連合国のスパーチャージャー・ターボチャージャー(下記のリンクの”自分の好きなエンジン①”を参照)の生産成功により、日本は、エンジン出力不足の自体を招き制空権を取られてしまいました(ほかにも理由はいくつかありますが)。このことから、敗戦への道を辿ることとなります。(なお、当時の日本の機体設計は、世界でも有数でした)

 

 

 

画像の引用元及び前回のブログ

www.williammaloney.com

2000-202698号 ダイナミックバランサ装置 - astamuse

hatanaka2111.hatenablog.com